坊沢の里

 北秋田市坊沢は、北秋田市西部に位置し、国道7号線、JR奥羽本線が通ります。

 16世紀末にはすでにその名が存在したらしく、比内浅利氏による「比内千町申習候村数覚」に「はうさは村」として記載されています。

 近世には羽州街道沿いの坊沢宿として津軽氏の参勤交代の通過点ともなっていました。

 享保10年(1725年)には、過大な年貢の取り立てに合い、村人五人が藩に直訴したところ、五人は死罪となったという事件が起きました。現在はこの場所にそれを記念する「五義民碑」が建っています。

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五義民碑(大正13年建立)

 江戸時代には坊沢出身の白川徳右衛門が江戸の柏戸門下で大関にまで昇進しました。帰郷後、相撲に出た先で強さを妬まれて毒殺されたと言われています。記念の石碑が集落内の永安寺に建てられています。

DSC_0399 (1280x831)左が徳右衛門の記念碑。右は「徳の力石」と言われ、徳右衛門が山から運んで来たと伝わっています。

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徳右衛門の碑がある永安寺

 明治2年に起きた戊辰戦争では村内で奥羽越列藩同盟側の南部軍と新政府側の久保田軍との間に衝突が発生し、銃撃戦が行われました。

 明治22年(1889年)には町村制の施行により、単独で自治体を形成しましたが、昭和30年(1955年)、周辺の鷹巣町・栄村・七座村・沢口村と合併して鷹巣町が発足、坊沢村は廃止となりました。その後、平成の大合併で鷹巣町は北秋田市となり、北秋田市坊沢として今に至っています。

 地域内には北秋田市立鷹巣中学校、北秋田市立鷹巣運動公園、平安時代の埋没建築で有名な胡桃館遺跡が存在しています。